神は存在するか?宗教vs科学の法廷BEEF(後編)
かつてアメリカで「神の不在」を争った裁判があった。
宗教VS科学、白熱の法廷BEEFの記録。
5.決着、しかし・・・
Jonah and the Whale (1621) by Pieter Lastman – Wikipediaより
彼は珍しく、敵を人間視しなかった。プルマンやオーティスにすら、一応の顧慮は払ったのだが、最終的に対決した聖書根本主義派のヒーロー、ウィリアム・J・ブライアンには一顧も払わず、仮借ない攻撃で粉砕、[…中略…]ダロウは、貪欲や見解は人間的欠陥だが、知識の圧殺は非人間的傲岸とみなしたのだ。
越智道雄「アメリカ 異端のヒーローたち」(2005)
そう、ダロウはマジで容赦しませんでした。同著によれば、「〜〜という記述を信じるか?」と念を押した上でその矛盾を指摘するダロウの執拗な質問は、その数なんと50にも及んだそう。ブライアンは善戦も虚しく、徐々に追い詰められてゆくことになります。
人類史上、最初の女性はイブだったと信じていますか?アダムの肋骨から彼女が作られたと?
はい。
聖書には彼が妻をめとったと書かれていますが、
その時、地球上にはアダムとイブの他に誰がいたんですか?
その時、地球上にはアダムとイブの他に誰がいたんですか?
・・・答えられません。
聖書を読み上げます。「主なる神はへびに言われた。“おまえはこれをしたので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最も呪われる。おまえは腹で這いあるき、一生ちりを食べるであろう。”」
あなたは、今現在蛇が這って移動するようになった理由がこれだと考えておいでですか?
あなたは、今現在蛇が這って移動するようになった理由がこれだと考えておいでですか?
そう信じています。
這うようになる前、どうやって蛇は移動してたんでしょうか?
わかりません。
蛇が尻尾で歩いたかどうか、知りませんか?
このパンチラインは爆笑で法廷を揺らしました。越智道雄さんの表現を借りれば「もはやなぶり殺しだった」。そしてついにブライアンには嘲笑すら浴びせられました。しかし、ダロウがその攻撃を緩めることは、ついにありませんでした。
地球はたかだか4000年だと言いますか。
いや、もっと古いと思います。
どのくらい?
答えられません。
聖書が地球よりも古いとおっしゃいますか。
わかりません。
どのくらい?
答えられません。
地球は6日間で作られたとお考えですか?
・・・6日間ですが、1日が24時間かどうかはわかりません。
聖書はそんな風に言っていないですよね?
・・・はい、言っていません。
こうしてブライアンはダロウに、天地創造が実際には長い年月をかけて行われたことを認め“させられ”た。これはブライアンにとって、耐え難い屈辱でした。ブライアンは語気を強めて激昂しました。
彼らの目的はただ一つ、聖書を信じる者への嘲笑だ。私は必ずや、彼らが、クリスチャンを嘲笑する以上の目的がないことを世界に知らしめてやる!
これに対し、ダロウは冷静にこう答えたそうです。
我々の目的は宗教的原理主義者と、学問を愚弄する者が合衆国の教育を管理することを阻止することだ。それ以上でもそれ以下でもない。
論戦の勝敗は誰の目にも明らかでした。しかし、それで話は終わらないから歴史はおもしろい。もう忘れてると思いますが、この裁判、もともとは「法律に反して進化論を教えたスコープス先生の有罪/無罪を決める刑事裁判」でしたね(前編参照)。
そして、ダロウの目的は裁判の場で進化論の正当性を主張することだったため、スコープス先生の罰金刑に異議を唱えませんでした(←繰り返すけど、ほんとはこっちがメイン)。その結果、裁判自体が無かったことになり、その後40年間、法律はそのままになってしまったのです。
いや、おい、ダロウ!
そして、さらに恐ろしい後日談。なんとブライアンはこの裁判の数日後、持病の糖尿病を悪化させ、急死してしまいます。この裁判と因果関係があるかは定かではありませんが、相当の屈辱、相当の心労であったことは間違いないでしょう。彼が今際の際で、彼の信じる神に会えたことを願わずにはいられません。
ブライアンは心から神を信じており、「強者が生き残ること」を前提とする進化論が許せませんでした。しかしその一方で、だからこそ弱者の救済に政治家生命を捧げもしたのです。そしてそれによって救われた人も大勢いたわけですね。彼の敬虔さが、彼を一流の政治家たらしめたのです。だから、この裁判を俯瞰して、ブライアンを嘲るような、短絡的な結論に辿り着いてしまうのだけはやめてくださいね。この人はこの人で、立派な人なので。
神が存在するかどうかはさておき、ニーチェが著書のなかで「神は死んだ」と宣言したのがこの裁判の40年ほど前。これはキリスト教的思想に裏打ちされた社会の秩序や倫理が、歴史上初めて揺るがされはじめているという当時の時代背景を表現した言葉といわれます。おそらくダロウは、ニーチェと同じように「神の死」に意識的だったに違いありません。だからこそ彼は、前近代的な価値観を許さず、それに固執するブライアンを完膚なきまでに叩きのめしたのでしょう。しかしそれは、彼が弁護士という立場から、近代的な人権の構築に尽力したことの裏返しでもあるのです。つまり、神のない世界における新しい秩序と倫理を我々は築いてゆかねばならず、私は法律家の立場からそれに尽くすのだと。きれいに締まりましたね。
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