YOU THE ROCK★とTHA BLUE HERB、BEEFの歴史② :「不死身の男」の再起と回帰
YOU THE ROCK★ vs THA BLUE HERB 後編。
かつて「RAPも死なない 俺も死なない」と歌った男が、29年後に辿り着いた現在地点。
l そんなつもりはなかったんですが、前後編になってしまいました。前回に引き続き、THA BLUE HERB BEEF三部作のパート2、「VS YOU THE ROCK」編の後編です。
YOU THE ROCK★とTHA BLUE HERB、BEEFの歴史①:1990年代、各地の群像と邂逅
YOU THE ROCK★のメディア進出と葛藤
1999年10月、ブルーハーブが東京で2度目のライブを行った翌月。YOU THE ROCK★は昨年に続いて、早くも4枚目のフルアルバム「THE PROFESSIONAL ENTERTAINER」をリリースします*1。YOU THE ROCK★(この頃から名前に”★”がつく。以降これに統一)自身をして「音楽の楽しさに振り切った作品*1」と語る本作は、全体的な方向性として、DEV LARGEのプロデュースワークが目立ち、前作のオールドスクール性を踏襲しながらも、全体的に明るいサウンドに仕上がっています。
THE PROFESSIONAL ENTERTAINER(1999)
「今はヒップホップが全然、普通のものと並んでないのが嫌だ。今、ヒップホップ好きって言ったらクラスとかでハブでしょ。カラオケにヒップホップが入ってないんだからさ」 YOU THE ROCK★、BLAST 1999年11月号での発言
「“楽しませる”しかない」という言葉には、彼の「エデュテインメント」という思想が窺えます。KRS-ONEに強い影響を受けたYOU THE ROCK★は、その活動の初期から、自身を「カンペキ・ティーチャー」と自称していました。おそらく彼の中には一貫して、「思想としてのヒップホップをマスに伝える」という考えがあったものと思われます。
そして2000年頃から、YOU THE ROCK★は積極的にテレビへの進出を開始します。この時期のテレビで僕の印象にあるのは「笑っていいとも!」と「踊る!さんま御殿」ですね。なんと言っても抜群に華のある、「場の空気を自分の色に染め上げてしまう」天性のある人でしたから、大いに番組を引っ掻き回していたのを覚えています。
よく見るとこの「笑っていいとも!」の出演回でも、ヒップホップの精神性やコールアンドレスポンスの基本をティーチしたりと、彼の「エデュテイメント」は見え隠れしているように思います。
YOU THE ROCK★は90年代における日本のヒップホップシーンの「顔」でしたが、そこで求められた「ハードコア」の偶像は、今にして思えば、彼個人の思い描く自身のあり方とは微妙に異なっていたのかも知れません。竹前裕少年は元々「宝島」的なものに強く惹かれ、いとうせいこうや近田春夫らのクリエイティヴから「ヒップホップ」に出会ったと語っています。そしてヒップホップにのめり込んだ彼は、KRS-ONEやRUN DMCから学んだヒップホップの哲学を引き受けながら、その上でなお、きちんとメディアにコミットする方法を模索していたのではないか、と思えるのです。
しかし、そこで「ステレオタイプなラッパー像」を演じる彼の姿は、少なからぬヘッズの目に「セルアウト」に映りました。
――俺もいつかはレモンを持たなきゃ、と。
だからテレビに出て、「あ、YOUさん、オープニングのとき適当にフリースタイルラップでしたっけ? チャッチャッチャーッとやって入ってきてください」とか台本に書いてあると、みんな「こんなことできねえ!」って頭にきて帰っちゃうの。だけど、俺はこんなことでやられてたまるかと思って実践するのね。「ここが闘う場所なんだ」って。そこでヒップホップっていうのは「ヨーッ!」とか「イェーイッ!」とかいうだけじゃないんだよって、すごくゆっくり見せてくしかない。真綿で首を絞めてってやろう、みたいな俺の闘い方が始まってくんだけど、散々言われたしね。 吉田豪「人間コク宝 サブカル伝」
YOU そうだよな……おかしくなってたよ。だから死ぬほどキャバクラ通ってたし。多分淋しかったんだと思うんだよね。すげえ金遣って。俺の話を聞いて欲しかったんだなと思って。ずっとしゃべってたよ。
吉田 精神的にも……。
YOU 病んだね。
吉田 病みますよね、それは。
照山 やっぱり、それぞれ抱え込むものが大きくなっちゃうとか。
YOU いきなりバブッたからね。やっぱりゼロから凄い収入まで上がるわけじゃないですか。後にはもう3500万プレイヤーとかになって。
吉田豪・照山紅葉「豪さんのポッド 吉田豪のサブカル交遊録」
GRAFFITI ROCK ’98のライナーノーツ[ILLUSTRATION:尿もれ(MOC ROCK)]
YOU THE ROCK★はやがて、自身のレギュラー番組をも数多く抱えるようになります。2000年にはベッキーと共に「CDTV Neo」にレギュラー出演したり、あるいはスペースシャワーTVでYOU THE ROCK★司会の音楽番組「電撃リクエスト ダイナモ」という番組が始まったのも、この頃のことでした。ニコ厨の人は「ダイナモ感覚」というネタで認識してる人もいるでしょうか。
そして2000年7月2日。「電撃リクエスト ダイナモ」のサプライズゲストとして登場したのが、この時が初対面となる、BOSS THE MCでした。https://t.co/EBaYfxhC3x
— 武石たけし (@madtropicalhell) July 12, 2017
17年も経つのか
証言2番の人から突然ビートボックスからフリースタイルを無茶ブリされて困るKjさん
やれやれな感じのBOTSさんと田中の元嫁小日向しえさん
電撃リクエストダイナモ懐かしい pic.twitter.com/MziBhaAtV5
ようやく初対面
2000年7月2日放送。初対面*
当時の「電撃リクエスト ダイナモ」公式サイトより*
そして両者は、この年の翌月8月、大阪・難波マザーホールにて行われたイベント「RUSH BALL」に出演しています。おそらく彼らの関係は、「ヒップホップ・ゲーム」の上ではある種の緊張感を持ちながらも、当人たちの間ではきちんと認め合っている、という類のものだったろうと想像できます。
RUSH BALL 2000のフライヤー(RUSH BALL公式サイトより*)
そして2002年、帰国したブルーハーブは手始めに「TRANS SAPPORO EXPRESS」、そして「A SWEET LITTLE DIS」を発表。メディアも含めた、日本のヒップホップシーンそのものを痛烈に批判しました。
PHASE 2
BOSS THE MC、BLAST 2002年5月号での発言
FRONT ACT CD(2002)
SELL OUR SOUL(2002)
見抜いてる 俺たちはそこには座らない 胡散臭く腐るアンダーグラウンドブランド」
「さんピンの残党の再発は不可能 ガキ以外はインスタントな曲には無反応」
TRANS SAPPORO EXPRESS / THA BLUE HERB (2002)
セルアウト炙り出すタブロイド ラッパーたるものってやつに拘るぞ」 A SWEET LITTLE DIS / THA BLUE HERB (2002)
FUCK YOU FIRST, KILL YOU LATER
ストリップだけはするなよ Mr.エンターテインかもな」 人斬り / THA BLUE HERB(2002)
(中略)
俺はね、やっぱりね、ハードじゃなくなったらセルアウトだと思うね。やっぱり、ヒップホップ・ルールで言ったら、例えばジブラはセル・アウトじゃないような気がするのさ。何故かっつうと、あの人はすげえ金かけて、ヒップホップやってるけど、でも、ヒップホップじゃん! 枠は。ああいうヒップホップもあるんだよね。でさ、誰も作ったことのないヒップホップを作ってこう、というのも確かに素晴らしいヒップホップだけど、それとコメディアンみたいなことやるのは違うでしょ。
(中略)
で、俺が思うにセル・アウトって奴は、俺はディスするよ。友達だろうと、それはしょうがないのさ、これはヒップホップだから。ボス・ザ・MCとしては言わざる得ないんだよね」
BOSS THE MC、blast 1999年5月号での発言
それでもYOU THE ROCK★は、このBEEFに最後まで乗りませんでした。それどころか、2003年に発売されたベストアルバムのライナーの中では、それでもなお、同業者のBOSS THE MCを認める発言をしています。
テレビ露出期のYOU THE ROCK★のリリースに触れると、彼は2002年に「XTRM」、2005年に「NO SELL OUT ’05」をリリースしています。
YOU THE ROCK「XTRM」(2002)
NO SELL OUT ’05(2005)
YOU THE ROCK★のスタイルは、例えばリップスライムやキックザカンクルーのように、必ずしも音楽的に「とっつきやすい」ものではありませんでした(当たり前ですが、それが悪いって話ではないです)。それどころか「XTRM」などでは、ほとんどアヴァンギャルドと言っていいサウンドから、「Bring the Noise」ばりのバキバキのミクスチャーロックまでが展開されており、彼の当時の「テレビに出ている陽気な兄ちゃん」というイメージからこのアルバムを手に取った人は、そのギャップに少なからず戸惑ったのではないかと思われます。
おそらく、彼がマスメディアへの露出も含め伝えようとしていたヒップホップの思想の核心は、「オリジナルであれ」という一点でした。だからこそ彼はその音楽において、常に流行の逆を行きました。しかし、このことと彼の稀有なタレント性は、必ずしも食い合わせが良いものではなかったように思います。一見ポップに見えるYOU THE ROCK★が体現していたヒップホップは、非ヒップホップリスナーにとって必ずしもとっつきやすい音楽ではなく、そして90年代の彼を知るヘッズからは「テレビに出てセルアウトしている」と見做される結果となってしまった。この時期の彼に対し、僕はそのような印象を持っています。
もっとも、YOU THE ROCK★はタレントとして多忙を極めたこの時期も、渋谷「ORGAN BAR」を拠点に月例のイヴェントを開催し続けており、「現場の人」であり続けていました。「NO SELL OUT ’05」などでは、そのイヴェントの常連クルー、LICENSED 2 DEF POSSEのメンバーをフックアップしてもいます。また、2004年には再結成を果たした「雷家族」のリリースもあり、おそらくそれらの「現場でのYOU THE ROCK★」に間近に接していた人は、彼の現場での活動からマスメディアでのあのハイテンションな振る舞いに至るまでの、そのバラエティに富んだ活動の「射程」が矛盾なく飲み込めていたことでしょう。しかしおそらく、この当時の彼をそのように認識できた人は少数でした。
そして、この通算6枚目となるアルバム「NO SELL OUT ’05」がリリースされたのと同年、2005年10月18日。YOU THE ROCK★は、大麻取締法違反により逮捕されます。
逮捕
自分の印象としては、2000年代後半頃から段々と、YOU THE ROCK★をテレビで見かける機会が減っていったように思います。が、この2005年の逮捕はそう広く報道された覚えもあまりなくて、むしろ5年後、2010年の再逮捕の時に「実は2005年にも逮捕されていた」と知ったように記憶しています。
2000年代後半のこの時期は「ヒップホップ冬の時代 a.k.a. 泥水時代(©︎サイプレス上野)」に当たりますが、彼の露出が徐々に減っていったのは、今にすればまさしく、シーンのその先を占うかのようでした。blastは2007年5月号をもって廃刊。この頃までの音楽産業の構造は、基本的に「CD」ベースで成立していましたが、その構造がガラッと変わったのが、2000年代後半でした。
そしてこの頃と前後して、ラッパーのメジャー契約は続々打ち切られていきました。そして、その中で「冬の時代」をサバイブしたのがブルーハーブとライムスターでした。
YOU THE ROCK★は2007年、2009年にアルバムをリリースしていますが、前述の時代性も合わせて考えると、セールス的にもあまり芳しいものではなかったのではないでしょうか。そして2010年、前述の再逮捕。再犯だったために量刑は重く、懲役8ヶ月を言い渡されました。
2010年2月10日付 朝日新聞デジタルでの報道*
ところが2011年、YOU THE ROCK★は引退を撤回。5月17日に、渋谷「ORGAN BAR」のイベントに飛び入り参加したとされます。そしてYOU THE ROCK★はこれを機に、少しずつステージへの復帰を果たし、また、いくつかの曲をリリースしました。が、しかしその存在感はやはり、かつてのYOU THE ROCK★とは比べるべくもなく違っていました。そしてそれは、かつてYOU THE ROCK★とシノギを削ったブルーハーブが「フェスの常連」として順調にキャリアを重ねていることと対照的でした。
そして、おそらく「テレビタレント」として彼を認知していた人たちの記憶からも、彼の姿が消えた頃。2015年に、あるニュースがヘッズを驚かせます。BOSS THE MCが、ソロアルバム「IN THE NAME OF HIP HOP」収録の「44 YEARS OLD」において、YOU THE ROCK★と共演を果たすというものでした。
そしてこの曲のプロデュースを担当したのは、同い年の1971年生まれ、YOU THE ROCK★の盟友にして、東京においていち早くTHA BLUE HERBを見出した男、DJ YASその人でした。
44 YEARS OLD
こうした経緯の果てに発売されたのが、前編で触れた「44 YEARS OLD」でした。
2015年、今がその時だ。ド渋のビートはDJ YAS。3人同い年、44歳。俺等にしか語れない話がある。これが流行とかじゃねえ日本のHIPHOPの最先端の曲だ。 ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2015.10*
IN THE NAME OF HIPHOP (2015) / tha BOSS
それらを幾つ手に入れたかが 唯一問われる仕事なのさ ラッパーは
いつからか それらは手元にあったんだ
脇目も振らずに走ってきたから
失ったものだって少なくなかった
だけど悪いことばかりじゃなかった
HIPHOPを愛し続けてこれたから
やっと話せる言葉ってのはある
生きてるうちが花さ 俺はここからだ
44 YEARS OLD feat. YOU THE ROCK★(2015)/ tha BOSS
90年代初頭から走り続け、そして着実に、ストイックに活動に打ち込み続けて生き残ってきたブルーハーブと、一時はヒップホップからの引退を表明しながらも、やはりカムバックを果たしたYOU THE ROCK★。どうにか生き残ってきた両者がDJ YASのビートの上に邂逅し、「生きてるうちが花さ」とYOU THE ROCK★が歌ったこのレコーディングの日は奇しくも、直前に他界した、DEV LARGEの追悼イベントの当日でした。IN THE NAME OF HIPHOP 列伝
— TBHR公式 (@tbhr_sapporaw) September 29, 2015
w/ YOU THE ROCK★&DJ YAS 俺等タメの三羽烏 曲名は「44 YEARS OLD」 ”ここまでラップやり続けてこれたから 口に出来る言葉ってのはある” B pic.twitter.com/viTFexd6Ue
LIQUIDROOMの悪夢
そうした共作を経て、2015年12月30日、恵比寿LIQUIDROOMでのブルーハーブのワンマンに、スペシャルゲストとして参加したのが、B.I.G. JOEと般若、YOU THE ROCK★でした。前編からここまで読んだ人は色々繋がってくれたでしょうか。B.I.G. JOEとBOSS、そしてYOU THE ROCK★とB.I.G. JOE。1994年、中目黒ZOAの「BLACK MONDAY」で、B.I.G JOEがYOU THE ROCK★を目撃してから、実に21年。ブルーハーブを交え、両者はここで同じステージを踏むに至ります。
一人目のゲストとして登場したのがYOU THE ROCK★でした。楽曲はもちろん「44 YEARS OLD」。登場から明らかに強張った面持ちで登場したYOU THE ROCK★はしかし、この大舞台で、歌詞を飛ばしてしまいます。
この模様は翌年発売されたブルーハーブのDVD「ラッパーの一分」に収録されています。僕はこのシーンがつらくて、どうしても目を逸らしてしまうんですよね。 YOU THE ROCK★は思わず「もう一回やらせてくれ」と懇願するも、時すでに遅し。それは、華麗なパフォーマンスをして去っていったB.I.G. JOE、そして抜群の存在感を見せつけた般若の姿と、残酷なまでに対照的でした。
このDVDの制作に際してBOSS THE MCは、YOU THE ROCK★に確認をとったそうです。
YOU THE ROCK☆:………
HDM:?
YOU THE ROCK☆:できなかったんだ。
HDM:え?
YOU THE ROCK☆:できなくて、悔しくて。正月、全然眠れなかった。
90年代の「ヒップホップすべらない話」から一転、歯を食いしばりYOU THE ROCK☆が真正面から睨みつけくる(『ラッパーの一分』のステージにいる、あの表情だ)。
YOU THE ROCK☆:ビーフじゃないんだよ、俺たちは。憎しみでもなんでもない。地方にいたら、あの頃の俺らがよく見えるのはわかるんだ。俺らが逆の立場だったら俺もそういう風に言ってる。でもそれはビーフじゃないからね。
HDM:はい…
YOU THE ROCK☆:コンちゃん(Dev Large)が死んでさ、俺は何冊もノートに、気持ちをグチャグチャって書いてた。それを何度も読み直して。正月、ずっと布団の中に入って。
HDM:はい……
YOU THE ROCK☆:あの日、もう一回って言って、やったけど、できなくて…。ボスがDVDにする時にカットするかって聞いてきたんだ。それで、いいって。あったことだし、そのまま使えって言って。
HDM:はい。
YOU THE ROCK☆:そうしたらその日打ち上げの酒の席だし、翌日、昨日ああ言いてったけど、本当にいいのかってまた聞いてきて。
HDM:これ(YOU THE ROCK☆が筆者にガラケーでメールを見せる)…
YOU THE ROCK☆:男に二言はねぇから使えって。
HDM:ハンパないです…(ここではむしろ筆者の方が感極まり、こんな陳腐な言葉しか漏らせなかった。これがラッパーなんだと毛穴が開き、総毛立った感覚を今も思い出すことができる)。
YOU THE ROCK☆:BOSSだって、20年間、俺や俺らのことを思ってたのは、仲が良いからそうなるんだよ。だってよ、1日24時間しかないんだぜ。その中で、ずっと思い続けてるなんて、恋人みたいなもんだからね。ヒップホップ愛が溢れているからそうなるんだろ。
HDM:はい…
YOU THE ROCK☆:クソ…
HDM:………
YOU THE ROCK☆:BOSSとの話はいいんだけど、それでさ…
恵比寿リキッドルームでのtha bossワンマンライブ映像化『ラッパーの一分』*
そしてこのリキッドルームの翌年。2016年9月11日、札幌はベッシーホールで、札幌の老舗スープカレー店「YELLOW」の20周年記念のライブが行われました。そしてこのライブアクトが、あの時と同じ3組による、それぞれ1時間。THA BLUE HERB、B.I.G. JOE、そしてYOU THE ROCK★でした。大成功に終わったその時のライブを、その時の感慨もそのままに、YOU THE ROCK★はこうFacebookに投稿しています。
この3組でしかも札幌でやれた事が
今迄やってきて本当に良かった
44も前回の松本に続き
札幌で完全リベンジを果たせて
皆で喜んで
本当に御心配をおかけしました
あの曲だけは
ステージに出た瞬間
最後の無言のお客さんの反応で
とどめのプレッシャーが襲いかかって来たけれど
超集中して一つ一つの単語を噛み攻め
最後の32小節のラストの
汗、血、歌詞を金に換えるライフ!って
言い切った瞬間のBOSSもダイちゃんも
其処にいたお客さん全員がうおぉ――――――ー!
って成って。。
半年間の地獄の日々から解放された瞬間だった
本当に忘れる事の出来ない経験が出来ました YOU THE ROCK FACEBOOKでの発言
でも俺はやるしかないと思って、みんなが真剣に見守る中、32小節を歌いきったの、そうしたらBOSSもDJのDYEちゃんもお客さんも、ウワーって盛り上がって「あいつ、とうとうやりきった!」みたいな(笑)。よく考えたら、40半ばのおっさんが一生懸命覚えてきた曲を歌いきっただけなんだけど、異様な盛り上がり。こんな世界、他にないよ! これはまた、ちゃんと向き合わなきゃいけないなって思わせてくれた。俺の周りの友だちは、早くに旅立ったやつも多くてさ。無茶してきたから、俺だっていつそうなってもおかしくないと思う。でも、ボロボロになった俺だからこそ、伝えられるものがあるんだよ。
私たちが熱狂した90年代ジャパニーズ・ヒップホップ
WILL NEVER DIE
そして2021年3月、往年のヘッズを驚かせた報せが「TBHR × YTR」。THA BLUE HERB RECORDINGSプロデュースによる、YOU THE ROCK★のアルバム制作の一報でした。実にYOU THE ROCK★のアルバムとしては12年ぶりとなるこのアルバムは、彼らがこれまでに積み重ねてきた、これらの歴史の上に存在していたものでした。
[🔥拡散希望🔥] TBHRからYOU THE ROCK★のアルバムを出します
— TBHR公式 (@tbhr_sapporaw) March 1, 2021
詳細は公式サイト内の俺のブログで → https://t.co/YiMJA4Bn9g
積年の愛憎確執の果て ヒップホップでたまに起こる奇跡のシナリオです 作品も勿論だが ここまでの過程を楽しんで欲しい これはそういう案件です#newYTRfromTBHR2021 pic.twitter.com/BY5PA0xIKa
とはいえ、自分はこのリリースの報せが出た時に、全面的には喜べませんでした。というのは、これが単なる「伏線回収」に過ぎない、「一緒にできたことに意味がありましたね」というものに終始するものだったら、それを自分は受け入れられるだろうか? というのが、どうしてもありまして。そして気がかりだったのはYOU THE ROCK★のブランクでした。つまりまさしく、「現在のYOU THE ROCK★がアルバムに耐えうるのか」という、真っ向からの不安です。もっとも、この不安は僕のような赤の他人ではなく、YOU THE ROCK★本人にこそあったようで、「BOSSと別れた明け方の帰り道にはすっかり酔いも覚めて『とんでもないことになっちゃったな』と思った」と語っています*。というわけで、結構本当に、聴くのに二の足を踏んでいたところがありました。ねー、面倒くさいファンって嫌ですねー。
WILL NEVER DIE(2021)
これまでのYOU THE ROCK★の歩みを振り返ってわかる通り、彼ほどに多くの紆余曲折と毀誉褒貶に満ちた人生を歩んできたラッパーは、少なくとも日本には他に見当たりません。このアルバムにおいて彼は、まさしく読んで字のごとく「ここまでラップやり続けてこれたから口にできる言葉」を以て、恥と弱さを包み隠さずに曝け出し、フィーチャリング一切なしで、ヒップホップを体現して見せてくれました。
何より、聴き終わった後に、「50歳で最高傑作って熱すぎるだろ」という、最高にポジティブな感慨がありました。年齢を重ねることは往々にしてネガティブなイメージで語られますが、年齢を重ねなければ生まれ得なかった素晴らしい表現を見せつけられて、心底嬉しくなりました。やはりこの人は稀代の表現者なのだと思うと同時に、本当、「ユウさん一瞬でも舐めたこと思ってすいません!」と思いました。それはTBHRに対してもですね。
そして、YOU THE ROCK★は、O.N.O.とこの上なくウマが合ったようです。YOU THE ROCK★はアルバムの制作にあたり札幌に滞在。ゲストハウスとO.N.Oのスタジオを毎日マウンテンバイクで往復し、録り終わりと同時に平岸の居酒屋「かみがしま」に直行し、そこで酒を飲みながら話した曲のアイディアを、翌日に再びスタジオで形にするというルーティンは、学生をちゃんとやったことのない自分にとって「まるで部活」だった*と語っています。
思うにこれは、YOU THE ROCK★のアルバムであると同時に、もう一人の1971年生まれ、O.N.Oのアルバムでもありました。振り返ってみれば、O.N.O.が一つのアルバムをBOSS以外のラッパーと作ること自体が、彼の長いキャリアにおいて初のことでした。印象としては、BOSSとの近作以上に、ダンサブルな面も含め、O.N.Oの引き出しの多さが発揮されているように思えます。そしてそれらを彩るのはやはり、常人の倍のスケールの人生を歩んできたYOU THE ROCK★という人間が、その生涯を賭して獲得してきた、あまりにも豊かすぎるトピックの数々でした。トラックがラップを際立て、ラップがトラックを引き立たせる。そうした理想的な関係が、O.N.O.との間には形成されていました。
ゲームオーバーじゃないって言ってやるぜ兄弟#newYTRfromTBHR2021
— O.N.O THA BLUE HERB (@onomonojp) May 12, 2021
ここまで、90年代初頭の東京の群像、そして札幌の群像と、その交わりから振り返ってみましたが、思えば、その過程で彼らが切り結んできたライバル、そして仲間たちの何人かは、この30年の間に既にこの世を去りました。これはYOU THE ROCK★にとって、非常に辛いものであったようです。
さて、1996年、この後自身が辿ることになる、あまりに数奇な人生を知る由もない、当時弱冠25歳の彼が雑誌のインタビューで語った言葉の中に、こんな発言がありました。
「だから! ヒップホップは生き方だからやるに決まってんじゃん(笑)。多分、内田裕也みたいになるんじゃん? どうする20年後!“あのオヤジまだチェケラッチョとか言ってるよ”とかなったら。でもどうかなあ、裏方にはまわると思うけどヒップホップは一生やめないね」 FRONT 1996年5月号より、YOU THE ROCKの発言
2024年8月25日 追記
今日、Twitterの方で相互のISOさんからこんなツイートをしてまして。
結構なショックを受けています。はっきり言っとくと、僕はこのYOU THE ROCKの発言を許容しません。で、これが時間の経過とともに流れ去ることも許容しません。往々にしてTwitter上での炎上はそうなりがちです。なので、ここに書いておきます。今後これについての釈明なりがあったら、またここに追記することにします。ユウさん、すいませんが、これはやっぱりナシです。YOU THE ROCKにもZEN-LA-ROCKにもMummy-Dにも心底失望した。ヒップホップで何学んできたんだ。 https://t.co/0lUslBzz4K
— ISO (@iso_zin_) August 24, 2024
ただ、MUMMMY-DとZEN-LA ROCKについては、ISOさんと同意見というわけでもありません。
昨日インスタを眺めていて、ユウさんのこの写真が流れてきたんですよね。で、まあ僕は、この記事を書いた(書けた)程度には YOU THE ROCKという人の変遷を知っていて、なので、一旦は完全に「落ちるところまで落ちた」(とあえて言いますが)ところから戻ってきたのを知っていますから、「おお、すっかり元気そうな顔になってよかったよかった」くらいのことを思ってたんです。文章までは読んでなかったのですが、写真だけ見て。文章まで読んだらびっくりしてたと思いますが、まあ、写真はいい写真だったので、僕もいいねつけてた可能性は全然ありました。
なので、 MUMMY-Dもそうしたノリでいいねをつけた可能性はある(排除はしきれない)わけなので、同等に非難されるべきかというと、同じ条件ではないかなと思っています。しかし、だとしても釈明はすべきだとは思います。
彼の場合は、かつて安倍晋三に献花に赴いた*ことの印象が(特にTwitter上では)強くありますから、多分それも手伝って大きな反応になったのかなと思います(津田大介氏もそれを関連づけた投稿をしている*)。もちろん、YOU THE ROCKの意見に同意した上での「いいね」の可能性もありますが、なんにせよ、同じ条件とは言えないかなと。(ただ、MUMMMY-Dがこれらのことについてどう思っているのか、本人の口から一度聞いてみたいというのは思っています。「もうここで言ってるよ」とかあったら教えてください)(9/4追記:その後ありました。このあとに書いてます)
ZEN-LA ROCKに関しても、完全な同調というよりは、ちょっと引いてるリアクションのように(僕からは)読み取れました。彼はYOU THE ROCKの門下でもありますから、二十数年来お世話になってきた先輩のこの発言に対して、どう反応すべきか逡巡したのではないか、というようなことを思います(きちんと批判すべきだったろうという指摘はもっともだと思います)。
まあ、そうした理由で、この二人も直ちに同じく非難を受けるべきかというと、そうとも言えないかと思いました。甘いかもしれない。
なんにせよ、僕はやっぱしユウさんのこれはナシだと思いましたし、僕がこれについて何も言わないのも(っていうかこの件が流れて忘れ去られて、おそらくは割といい印象に書かれているであろう俺の記事だけがインターネット上に残り続けるのも)ナシだろうと思いましたので、ここに書いときます。ゲンナリしながら。
***
そうだ、5年前くらいに東京行った時の話ですが。郵便局から荷物を発送しなきゃいけなくてですね。で、そこの地元の簡易郵便局に行ったら、おそらくその近所に住んでるアジア系の外国人と思しき人(日本語を話していた)が、窓口で若干揉めてたんですよ。
※「思しき」って書いたのは、日本人/外国人を定義するものが、法的手続きを経た「国籍」でしかない以上、こっちが断定しうるものでもないからです(逆に言うと、じゃあ「日本人」って何なんでしょうって話にも当然なるわけですが、まあそれは置いときます。長くなるから)。
で、結構順番待ちの人とかもいて、あと30分くらいで閉業時間になるぞ、みたいなアレで。
揉めてた内容は些細なことで、どうやらメルカリの発送か何かで「このサイズでどうにか行けないか」的なことだったっぽいです。よくある話です。ただ多分、日本の人は基本、一発で折れますよね。「そうですか、じゃあ梱包し直します」と。ところが、その方は「どうにか行けないか」と頑張っていたわけです。
多分これ、国によっては ――例えばその人の母国とかだったら―― 割と「融通」で通ったりする範疇だと思うんですね。しかし日本は割と厳しい。端的に言えば、文化の違いです。
どうやらそこにいるほとんどの人は、それ――「文化の違い」は理解していて、郵便局の方も「弱ったなぁ」という感じでどうにか断り、その人も最終的には「ありがとうございました」と言って折れていて、まあ、穏便に済んではいて。順番を待たされてた人たちも、「怒る」というよりかは、「ああ、どうにか今日中に間に合いそうだ」という安堵の色の法が濃い感じでした。
思うのは、外国人コミュニティを持つ地域にリアルに暮らすマジョリティ(=日本人)の目線からすれば、こういうレベルの非常に小さな齟齬って、生活の端々にあったりすると思うんですね。映画『Do the Right Thing』で描かれていたのもそういうものでした。あれ、暴動の話じゃないですよね。非常に小さな、とてもミクロな「齟齬」の話です。
あるいはともすると、そこには、当事者からは看過しがたいトラブルもあるかもしれません(っていう映画でしたよね)。しかし一方で、マイノリティの側にはやはり明確に、市民権の不平等というものがある。だって、在日外国人には参政権もないわけです。政策の面から自分たちの生活を良くしていくという手順は、ハナから用意もされていないわけです。これ、クルド移民に限った話ですらないですよ。在日外国人すべてに言える話です。
市民生活のレベルにおいては、どこかしらの局面で必ずそういう軋轢が存在する――否、「存在しないわけがない」ことを自明とした上で、それを乗り越える努力をしなきゃいけないってことで、じゃあそのためにどうしましょうか、って話なんじゃないですかね。多分、ヒップホップというのはそういう知恵だったんじゃないかと思うわけです。
綺麗事だという誹りも甘んじて受けますが、しかし少なくとも、ヒップホップのイズムに触れた者たれば、そのマイノリティ・コミュニティへの眼差しは携えているべきだろう、と思うわけです。
2024年8月27日 追記
上記の件に対する批判がTwitterのタイムラインを席巻し、昨日、YOU THE ROCKはinstagramにて、「liberal mind」と添え、一言「ピース」とだけ発言した動画を投稿しました。着用していた白いTシャツには「FAKE NEWS」の文字がありましたが、真意は不明です。いずれにしても、謝罪や釈明として受け取ることは困難な、抽象的な内容でした。
なんかtogetterみたいになっちゃってイヤだな……まあしゃあない。その後、高木完氏が(言わずもがな旧知の間柄です)、YOU THE ROCKに連絡し、発言の真意を確認した旨を投稿。「ユウがゼンラの地元を急遽したのはクルド人のことも心配してのことだってのを彼の言葉で確認した」とのこと。
ただし、「糞のさばってる」などの発言は、明らかに、この(高木完経由の)釈明の内容にそぐうものではないでしょう。なお文中にある「急遽」は「危惧」の間違いとのことです*。
また高木完は、YOU THE ROCKのこの発言に対して、明確に批判の立場をとった上で彼に真意を問いただしていたことも加えて申し添えておきます。「あー、ダメだどうしよう。そんな時こそ」だったぜ。ユウがゼンラの地元を急遽したのはクルド人のことも心配してのことだってのを彼の言葉で確認した。ECDはわかってたよね。君からユウに連絡してあげてって声が聞こえてDMから電話。これから活動で応えていくと信じてる。写真は3年前のマドスピ収録時 pic.twitter.com/ZIO95Jkbpm
— KAN TAKAGI (@kantakagi) August 26, 2024
僕も思った。そうした発言はいつの時代も戦争の発端だから何を考えているのか連絡した。あらためて表明すればと提案したが本人が対処していくと思う。言葉が足りてないと同時にその表現で傷ついた人や💢感じた人に対しては僕からもすまなかったとしか言えない。あの一言はいらなかったのは確かですから https://t.co/NRAPfuLgay
— KAN TAKAGI (@kantakagi) August 27, 2024
まあ、なんかこういうの、釈明や謝罪の方が炎上発言よりずっと簡単に流れちゃうので(これ自体はSNSのアンフェアな構造だと思っています)、だからせめてこのサイトくらいではちゃんと記録しとくつもりです。当然ながら、MMUMMY-DやZEN-LA ROCKから何らかのステートメントが出るなら、それも(重ねて言いますが、二人からもあるべきだろうと思います)。何を言うかも、何を言わないかも、すべては後の世の人が評価することです。どう読んでも悪意にしか見えないのでユウに連絡した。表現の訂正、是正を伝えたが本人次第だ。彼には差別意識はない、クルド人のことも心配していると、朝から対話。そうか、と思う一方無意識な表現、態度が一番よくないと友人からも連絡が。これを機に意識が変わっていって欲しい。自分の非は認めて。 https://t.co/PZQA4zXM6I
— KAN TAKAGI (@kantakagi) August 27, 2024
2024年 8月27日22時34分 追記
先ほどユウさんのinstagramで、しっかりとした形での謝罪がありました。安心しました。
決して庇うわけではないんですが、一つの問題として、クルド系移民に関して、いたずらに不安を煽る、誤解と偏見に基づいたYouTube動画の、多分去年から今年入ってからあたりの爆発的な増加の傾向ってありますよね。すみません、僕としたことが、これについては、ちゃんと統計とったわけではないんですが。今なんの準備もしないで書いてるから許して。(9/4追記:これ、ソースと呼べるものがあったので追記。”朝日新聞が分析ツール「ブランドウォッチ」で、「クルド」に言及したXの投稿数(再投稿含む)を調べたところ、昨年3月は4万件だったのが、昨年7月には108万件、今年3月には242万件と急増していた”*)
なんか、そんで思うのが、インターネット上に用意されている「義憤に駆られるスイッチ」って、ずーっと排外主義的傾向のものの方が明らかに多いんですよ。マジで何十年も。20年くらい前から割と最近までは「在日特権」なんて言葉がこれでした。「余命三年時事日記」なんていう得体の知れない排外主義ブログの煽動を真に受けた人々から、ある弁護士がいわれなき懲戒請求を受けた(全員逆に訴えられ損害賠償を支払った)こともありました*。
話はそれますが、2ちゃんねる全盛時代からずっとあったこれらの差別的言説って、例の、自民党と統一教会の関係が明るみに出て、急速に萎んでいったように思います。そしてどうも、クルド系移民の話題って、タイミング的にはそれが収束していった時期と重なるんじゃないかな、とも。ともすると、クルド系移民をめぐるトピックは、例の件以降行き場を失った排外主義の、ある種の受け皿になってしまったのではないか。
まあ、これは今本題ではないので置いておきますけども(調べてみたいトピックではあります)、とにかく、どうにもまず「インターネットの状況が悪すぎる」っていうのを、やっぱり思ってるんですよね。まず何を差し置いても。
もっとも、YOU THE ROCKがなぜああいう発言に至ったのかはわからないですし、もちろん、これを指摘することをもって今回のことを大目に見てやれって話でもないですよ。ただ、上記の問題系はインターネット上に明らかに存在しています。ここでは、こういう発言があったことと、それに対し、ユウさんからは自身の言葉で反省と謝罪が表明されたことを記録しておきます。
2024年9月4日 追記
先ほどMUMMY-D氏がinstagramで今回の件について釈明。
「多分酔ってる時かなんかに本文を読まないで「ステキなシャツじゃん!」みたいな感じで「いいね」したんだと思う。
中略
そして当該投稿がもう削除されちゃってるので何とも言えないけど、少なくとも本文読んでたら「いいね」してなかったと思う。日頃自分が大事にしてる信条とも反するし、何よりオレの曲たちの歌詞、メッセージとメチャメチャ矛盾してる笑。笑い事じゃないか。
クルド人に限らず全てのマイノリティー、社会的弱者に対して寄り添う視点を。わたくしの信条は一貫して変わってません。一部ファンの皆様におかれましては、もやもやさせてしまって申し訳なかった。ゴメン!どれだけLOVEを歌ってもなかなか届かないのに、HATEだけはその何百倍もの勢いで拡散される現実には愕然とするが、めげずにこれからも歌を作り続けたいと思う。
これは僕の言い訳ですが、インスタ、モノの写真が上がった時って本文読むんですけど、人の写真が上がった時は読まないという癖がついてしまってますね。今回のことで気がつきました。やっぱり「映え」にいいねを押すようにできてるんですね。気をつけます。
兎にも角にも、今回のことについてはDさんからも流石に何か表明すべきではと思ってはいたので、こうして釈明があったばかりか、改めて反差別をきちんと明言されてよかったです。
YOU THE ROCK★とTHA BLUE HERB、BEEFの歴史①:1990年代、各地の群像と邂逅