[補遺] stillichimiya特集、追記&あとがき

音楽 | 11/17/2021
この記事は「stillichimiya特集 第二弾」の続編です。第一回第一回と第二回を読んでないとあまりよくわからないと思うので、読んでない場合は一度そちらに戻られることをお勧めします。

stillichimiya特集① ― stillichimiyaとはいかなる「現象」だったのか? stillichimiya特集② ― おみゆきCHANNEL、スタジオ石、深化するソロ活動 stillichimiya特集③(完結編) ― アジア、一宮、三千世界
というわけで、私が愛してやまないグループ、stillichimiyaの特集でした。

「全国的な知名度を持つ、地方を拠点とするヒップホップグループ」ということで言うと、THA BLUE HERBに続いてstillichimiyaが挙げられるような気がします。彼らは、プロデューサーチーム「おみゆきCHANNEL」、映像制作集団「スタジオ石」、Mr.麿をメインボーカルとするニューウェイヴユニット「EXPO」、リサイクルショップからDIGった音源をプレイするDJユニット(?)「墓場のDIGGER」、東南アジア各国からDIGった音源をプレイする集団「OMK」など、いくつもの組織内組織を持ち、もはやカオティックと言っていいほどに多岐にわたる活動を繰り広げています。さらには空族との深い関わりもありますし、田我流はソロMCとしても非常に有名ですね。

僕はその多岐にわたる活動の射程こそがstillichimmiyaなのだと思っていて、だからstillichimiya特集って銘打ってやるなら単にディスコグラフィー列挙しただけじゃ不十分で、その活動にある程度あまねく触れないとダメだな、みたいに思っていまして。それで一旦年表にまとめてたんですが、そうすると色々、この時の動きがこれにつながってくるのか、みたいな流れが浮き彫りになってきて、結果的にこんな、ほぼ「全史」みたいなものになってしまいました。

そして記事公開後、YOUNG-Gさん、Mr.麿さん、富田克也さん、Em Recordsさん、青木ルーカスさん、Mary Joy Recordingsさんなど、関係者各位から好意的な反応を頂きまして(そして戦慄させまして)、楽しかったです。

記事を作るにあたって、本編に使う使わないにかかわらず、結構細かな事象まで一旦年表に全部書き出すんですよね。一応すべて「公式に発表されたもの」に当たってはいるんですが、とはいえ僕が原文の文意を読み違えている可能性とかは否定しきれないわけで。そう考えると本当はこの記事、公開前に一旦先方にチェックしてもらうような性質のものなんじゃないんだろうか? などと思いつつ、でもまあこれ別に勝手にやってるだけだから、見知らぬ誰かがいきなり長文送りつけてきて「読んでください」なんて言ってくるのもスジとしては変だしな、などという結論に達した結果、とにかく「間違えないように頑張る」、というところに落ち着きました。一点、YOUNG-Gさんご本人からご指摘いただいた部分で、Mix CD「PAN ASIA vol.1」のレーベルを間違って記述してしまいました。すいません、BLACK SMOKERから出たのはvol.2以降でした(訂正済み)。

stillichimiyaとTHA BLUE HERB


stillichimiyaの「成立」に大きな影響を与えたのがどうやら、YOU THE ROCK★の「HOO! EI! HO! ’98」だったようで、田我流はたびたびそれを公言しています。そしてそれを一宮ローカルに「伝来」させたのがYOUNG-Gでした。それで、「stillichimiya編の途中でYOU THE ROCK★の話に脱線したら面白いんじゃないかなぁ」みたいなよからぬことを思い、記事の公開順としては、stillichimiya①が終わった後で、脱線して急に「YOU THE ROCK★ VS THA BLUE HERB」に移りました。二つの記事がお互いにスピンオフとして機能したら面白いな、とか思って。

YOU THE ROCK★とTHA BLUE HERB、BEEFの歴史①:1990年代、各地の群像と邂逅
YOU THE ROCK★とTHA BLUE HERB、BEEFの歴史②:「不死身の男」の再起と回帰
そして、stillichimiyaとTHA BLUE HERBの接点というのも、当然ありました。

stillichimiya特集②の中で、「ジャングル殺法」を演っている大人数時代のstillichimiyaとして取り上げたこの映像ですが、この2010年9月の甲府KAZOO HALLでのライブというのが、実はTHA BLUE HERBの2010年のツアー、「47都道府県制覇」の「前座」としてのアクトでした。


そして2年後の2012年6月9日、THA BLUE HERBが「借りを返した」のが、やはり同じく甲府KAZOO HALL。田我流のソロアルバム「B級映画のように2」の全国ツアー「B級TOUR」のスタート地点において、その「前座」を務めたのがTHA BLUE HERBでした。

— 前座がTHA BLUE HERBという、普通に考えると有り得ない幕開けだった地元山梨KAZOO HALL。どうやってこの日が実現したんですか?また、この日がスタートだったことを改めて思い返すと。。。いかがですか?

以前THA BLUE HERBの47都道府県LIVE制覇の最後の土地、山梨でのライブをやるときのEVENTを俺たちSTILLICHIMIYAでやったんだ。そしてその時の借りを返したいと言ってくれた。それで前座を自ら買って出てくれたのさ。こんな時代にまるで幕末の志士みたいなお方なのさ。感謝してもしきれないよ。BOSSさんの顔に泥を塗らないように必死に今も頑張ってるつもりさ。

【HMVインタビュー】 田我流 『B級TOUR -日本編-』*
だいぶ謎のキャラと口調でインタビューを受けてるのが気になりますが、さておき、ここにもそういうクロスがあったんですね。

映画「バンコクナイツ」とMV「Khane Whistle」


「莫逆の家族」のMVは、映画「サウダーヂ」と世界観を共有したものでしたが、それと同じ関係がおそらく「バンコクナイツ」と「Khane Whistle」にも見られます。一応、本編で言及を避けたところですが、ネタバレっちゃあネタバレな箇所があるので、気になる人は読み飛ばしてください(でもまあ、富田克也監督もインタビューで話してる部分なので、気にしなくてもいいかも)。ちょうど11月か12月頃から空族の特集上映があるそうなので、観てない人はその後でもいいかも知れないです。

「バンコクナイツ」の劇中では、オザワとラックが、タイ東北地方の「イサーン」へ向かうというストーリーが展開されます。そしてそこで、山中に潜むゲリラに出会います。演じるは田我流、YOUNG-G、そしてYOUNG-Gが「RAP IN TONDO 2」の際に出会ったフィリピンのクルー、TONDO TRIBEの二人でした。そして、田我流演じる「古神」とYOUNG-Gは、ラオスの地でこんな会話を繰り広げます。

「俺とYoung-Gは一宮っていう小さな田舎町生まれでね。桃の産地でさ。桃畑がずっと広がってる。春になると桃の花が一斉に咲いて、マジ綺麗なところさ」
「TOGENKYO。知ってる? 桃の花の楽園って意味。中国の昔話に出てくる」
「そこは一度出てしまったら2度と戻れぬ場所。そうだろ?オザワさん。今は誰も桃なんか見向きもしない。みんな金が欲しくて出てっちまった。今生きてるジイさんバアさんが死んだら桃畑はなくなり、昔のジャングルに戻る」
「俺たちはそこから反逆の狼煙をあげる」

「バンコクナイツ」より、古神(田我流)とYOUNG-Gの会話
そして、このシーンを振り返って富田克也、相澤虎之助、そして田我流は、こう語っています。

田我流:なんか俺、ヤバいセリフ言ってましたよね。

富田:「桃源郷、ユーノウ?」とか(笑)。まさか一宮のことを、というか、これまでstillichimiyaが音楽でやってきたことの根幹を、ラオスの山岳地帯で、しかもセリフとして言わされると思わなかったでしょ(笑)。

相澤:あのシーンのセリフは、実はぼくたちがstillichimiya自身から聞いた言葉なんですよ。一宮の山道を車で走ってる最中に。

富田:stillichimiyaのMMMがね、「このへんの桃畑もいつかなくなって、いずれ昔のジャングルに戻るときがくる。そしたら俺たちはそこに立てこもって、反逆の狼煙を上げようと思ってるんです」って。

相澤:かっこいい!

富田:そのセリフいただき! みたいな(笑)。それを彼らにもう一度言ってもらったっていう話なんですけど、よくよく考えてみればstillichimiyaがやってきたことってのは、きっとそういうことだったんだっていうのをぼくたちはそこで再発見することになって。

空族と田我流が語る「バンコクナイツ」。オルタナティブな映画の作り方。*
TONDO TRIBEを交えたこのシーンは、見渡す限りにだだっ広い、広大なラオスの平野で展開されます。が、その平野には無数のクレーターが存在し、生々しい戦禍の傷跡をたたえていました。実はベトナム戦争当時、最も空爆を受けたのが、中立国であったはずの隣国ラオスでした。これは、南ベトナムへの物資・兵士輸送ルート(ホーチミンルート)がラオスを通過していたことが理由とされていますが、その実、北ベトナムへの爆撃を終えた戦闘機が、帰りの機体を「軽くする」ために残りの爆弾をラオスに落としていった、とも言われます。

かくしてラオスの地は「世界一空爆を受けた国」と呼ばれますが、しかし、そうした人類の諍いなど全く意に介さずに、なおもその土の上には草や木が茂ります。ベトナム戦争から40年の年月を重ね、いつしか「緑」をたたえた無数のクレーター群を背景に、stillichimiyaやTONDO TRIBEの会話は展開されるわけです。いわく、「俺たちはジャングルとなった一宮から反乱の狼煙を上げる」。そしてこのシーンにこそ、「Khane Whistle」のリリックは符合します。


という、この視点であのMVを見直してみると、また面白いんじゃないかと思います。

OMK監修 相川七瀬「Bye Bye Boy」


2021年1月22日、相川七瀬の1996年のシングル「バイバイ。」のREMIXが、「Bye Bye Boy 2564」としてリリースされます。この「監修」を手掛けたのがOMKでした。



タイには、現地で独自に発展した「サイヨー」というクラブミュージックが存在します。元々「サイヨー」という言葉は「膝を曲げる」みたいな意味だそうで、ダンスの特徴からこの名前になってるようです。この動画なんかは、まさに「サイヨー」をわかりやすくやって(やりにいって)くれていますね。


そして、この「サイヨー」のシーンにおいて、タイで ―ともすると日本以上に― 愛されてきたのが、相川七瀬の「バイバイ。」でした。


この動画のコメント欄もタイ語ばっかりで面白いですね。この曲はもちろん、現地のシーンにおいて、愛を持って「REMIX」され続けてきていましたが、そのカルチャーが実を結んだと言いますか、ついにavex公認のもとで、タイのラッパーやDJ、トラックメイカーらによって「公式に」REMIXされたものが発売されまして、それがこの「Bye Bye Boy 2564」シリーズでした。そして前述の通り、この「監修」を務めたのがOMKでした。




動画の右下にもOMKのロゴが挿入されているのはそういうわけですね。例えば相川七瀬のこの曲とかって、意図して戦略的に輸出できる類のものではないと思うんですよね。でも、こういうところにこそ越境と影響のマジックがあったりして、事実いろんなものをすっ飛ばして現地に根付いてしまっていて、それはめちゃくちゃ面白いなと思いますし、その文化の「生」の部分をこそOMKはDIGり、そしてそれをターンテーブルの上において「再生」しているのでしょう。

というわけで、stillichimmiya特集でした。だいたい5年区切りくらいで記事が3つに分かれたので、5年後まだこのサイトがあったらまたやるかも知れません。


stillichimiya特集① ― stillichimiyaとはいかなる「現象」だったのか? stillichimiya特集② ― おみゆきCHANNEL、スタジオ石、深化するソロ活動 stillichimiya特集③(完結編) ― アジア、一宮、三千世界

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう