Pファンク徹底解説3 パーラメント「マザーシップ・コネクション③」
SFドラマからヴードゥー教、秘密結社「地下鉄道」の歴史までを縦横無尽に行き来しながらお届けするP-FUNK徹底解説。
マザーシップ・コネクション編、やっと完結。
奴らが必要とするときに、そいつを与えろ
さて、前回はUFOからヴードゥー教の話に飛んでそこで終わるというアクロバティックな脱線をお目にかけましたが、アルバムの話に戻りましょう。Unfunky UFOに続くのは、『Supergroovalisticprosifunkstication』です(覚えなくていい)。「スーパーグルーヴァリスティックプロジファンクスティケイション」。このような、無意味に長い造語はPファンクの特徴の一つで、主にベーシストのブーツィー・コリンズのアイディアで、他に『Promentalshitbackwashpsychosis Enema Squad』(覚えなくていい)や『A Psychoalphadiscobetabioaquadoloop』(覚えなくていい)などがあります。余談ですが、このセンスは例えば、Outkastなどにも受け継がれています。
アウトキャストのデビューアルバム、『Southernplayalisticadellacmuzik』。
つまり、A面の最後『Unfunky UFO』で一度アルバムは途切れてしまうので、私たちはレコードを裏返して、改めてこの曲から再生を開始する必要があったわけです。そしてその一曲目が、『Supergroovalistic・・・』でした。その上で、B面の1曲目『Supergroovalistic・・・』から最後の楽曲『Night of the Thumpasorus Peoples』までを聴くと、あることに気がつきます。アルバム『マザーシップ・コネクション』のコンセプトから逸脱している『Hundcuffs』を除けば(※)、B面に入ってからは、ストーリーを語るような楽曲はほとんどなくなり、ひたすらにフック(サビ)の合唱とフレーズの反復が繰り返されるナンバーが並ぶのです。
要は、A面は世界観の「説明」、B面は世界観の「表現」という構成になっているわけですね。なんと見事。
そして、『Supergroovalistic・・・』はこんな歌詞の反復で構成されます。
Give the people what they want when they want
And they wants it all the time
やつらが必要とする時に、やつらの必要とするものを与えろ
そして、やつらはいつでもそいつを必要としている
「やつらの必要とするもの」が一体何なのかは、もうお分かりですね。And they wants it all the time
やつらが必要とする時に、やつらの必要とするものを与えろ
そして、やつらはいつでもそいつを必要としている
そして、小品『Hundcuffs』を挟んで、アルバムはクライマックスに達します。
※「Hundcuffs」は、ジョージ・クリントンが自伝において、「前作『Chocolate City』から漏れた曲を宇宙ふうにアレンジしたもの」と発言している通り、歌詞の内容は直接本作のコンセプトに関係がないようである。
裏ジャケ一部拡大。このアルバムの裏には、Producedの他に「Conceived(思いつき)」 ジョージ・クリントンとある。
「Give Up」は何を意味するのか?
「Tear the Roof Off the Sucker (Give Up the Funk)」は、このアルバムのハイライトです。また、『マザーシップ・コネクション』からのシングルとしては最大のヒット曲であり、もちろんPファンクの代表曲でもあります。
Tear the roof off, we’re gonna tear the roof off the mother, sucker
Tear the roof off the sucker
You’ve got a real type of thing going down, gettin’ down
There’s a whole lot of rhythm going round
屋根を吹っ飛ばすくらい盛り上がれ
屋根を吹っ飛ばすくらい
お前はゲットダウンの素質を持ってる
ありったけのリズムが蔓延してる
僕が10代の頃に初めて聴いたPファンク曲が、この曲「Give Up the Funk」でした(2000年台はじめ頃。僕はレッチリの後追いでPファンクに触れたので、当然Pファンクも後追いでした)。無垢なる僕はその時、「なぜファンクを”諦めなくては”いけないのだろう?」と不思議に思いました。「Give Up the Funk」。この一文は、Unfunky UFOの歌詞にも登場しています(Give up the funk, you punk)。彼らの間に、ある言葉で他の言葉を表現する、特殊なタームが存在する(前編参照)ことを僕が知るのは、その後のことでした。Tear the roof off the sucker
You’ve got a real type of thing going down, gettin’ down
There’s a whole lot of rhythm going round
屋根を吹っ飛ばすくらい盛り上がれ
屋根を吹っ飛ばすくらい
お前はゲットダウンの素質を持ってる
ありったけのリズムが蔓延してる
Give Up the Funkの日本盤
Funk is the reward, so there are no symbols or biscuits to pass out. It will only improve your Inner-Planetary Funksmanship. Your degree is the act of giving up some funk to receive some funk and the giver nearly always gets the most in return.
ファンクはそれ自体が報酬だ。
この学校で得られるもの、それは君のうちにある地球人ファンクマンシップをより良いものにすることだ。
ファンクをgiving upし、そしてファンクを与えた者が見返りにファンクを受け取る、というact(演奏)こそが君の学位だ。
冒頭の「Funk is the reward」という言葉に注目しましょう。次作『ザ・クローンズ・オブ・ドクター・ファンケンシュタイン』のエピソードになりますが、その一曲目『Prelude』には『Funk is its own reward』という台詞が登場します。インタビュー冒頭のブーツィーの言葉は、これを踏まえてのことに違いありません。そしてこの言葉は、英語圏に伝わる、「Virtue is its own reward(徳はそれ自体が報いである)」という有名なことわざに由来しています。このことわざは、「徳をほどこすこと自体が喜びであり、それは物質的報酬を期待するものであってはならない」という内容を意味します。Pファンカーたちはこの「徳」をそのまま「ファンク」に置き換え、それをPファンクの哲学として掲げているのです。
そして、この言葉はつまり、「ファンクを与えるのと、ファンクを受け取るのは同じ行為だ」と言い換えられます。
この「give(与える)」と「receive(受け取る)」が相互に溶け合う哲学。この哲学を語る際に、ブーツィーが敢えて「giving up the some funk」という表現を用いていることに注目してみましょう。僕は、ここにPファンク的「give up」のニュアンスが表れているように思うのです。つまり、ファンクを「差し出す」と同時に、同時に自分自身をもファンクに同一化させる言葉として。ギヴ・アップ・ザ・ファンク。
もちろん、これはただの推測です。しかし、「Give up the funk」という言葉をそう解釈したとき、Unfunky UFOにおける「限りある資源としてのファンク」観、Supergroovalistic・・・における「奴らの欲しい時にそれを与えろ、奴らは常にそれを欲してる」という言葉、そしてこの、演者と観客が融合するようにグルーヴする「Give Up the Funk」がひとつに繋がるように思うのです。
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そして、マザーシップはどこへ向かったか
『Give Up the Funk』でその盛り上がりが最高潮に達した後、アルバムは映画のエンドロールのように、最後の楽曲『Night of Thumpasorus Peoples』を迎えます。ファンキーでありつつも足並みをそろえたホーンセクションがなんとも映画的であり、同時に、ブーツィーのぶっちょんぶっちょん言うベースとバーニーのブリブリ言うシンセがなんともPファンク的でもあるナンバーです。
そしてこの曲ではひたすらに、「ガガグガ」という言語ならざる言語のチャントが繰り広げられます。
この「ガガグガ」と、タイトルである『Night of Thumpasorus Peoples (サンパソラス人の夜)』を重ね合わせた時、ある情景が浮かび上がってきます。原始時代です。
「Thumpasorus」はPファンク的な造語ですが、「Thump(打ち鳴らす)」という言葉と、「australopithecus(アウストラロピテクス)」や「homo erectus(ホモエレクトゥス)」などを意識した「-us」という接尾辞からなるものと考えられます。そして「ガガグガ」は、人類が言語を獲得する以前の「リズム」としてのコミュニケーションでしょう。リズムとしてのコミュニケーション、すなわちファンクです。
マザーシップはついに時空を超えました。そして「原始のファンク」を暗示して、アルバムは終幕となるのです。
そしてこの謎は、のちに続く物語で明らかになります。
結局、Pファンクとは何なのか
ここまで読まれた方に感謝します。そして、少しでもPファンクの壮大さとバカバカしさに感動していただけたなら幸いです。冒頭でも述べたとおり、この「異常なコンセプト性」があってのPファンクであることは、日本では見落とされがちです(他ならぬ僕も、それに長らく気づいていなかった一人です)。その理由はとりも直さず、「ジョージ・クリントンという人が『実際どう凄いのか』が解りにくいから」に他ならないと思うのですが、だからこそ本稿では、「ジョージの描いたPファンク的世界観」という観点からPファンクを紐解いた次第です。というか、技術以外の側面からPファンクについて論じた文章がインターネット上になかったので。
ただ、本稿の中でも述べたとおり、ジョージの真意は結局わかりません。Pファンクのマザーシップ構想は、時として旧約聖書の「愛しの馬車」や「地下鉄道」、あるいはネイション・オブ・イスラムの教義にある「マザー・プレイン」など、宗教的・政治的なものと見なされてきました。また、本稿でも、そうした説や論考を取り入れながらPファンクを紹介してきました。が、ジョージは著書の中でこのように語っています。
フィラデルフィアで観客に目をやった時、蝶ネクタイ姿の男たちが前列に並び、俺に向かって叫んでいるのを見て驚いた。「知識を伝授してくれ、ブラザー・ジョージ」と彼らは言っていた。知識?これはマズい。俺は突如、彼らが真剣だということに気づいた。彼らの顔を眺めると、誰もがこうべを垂れており、祈りを捧げているかのようだった。俺は彼らを真っ直ぐ見つめ、「これは単なるパーティさ」と言った。
「黒ネクタイ姿の男たち」とは、マルコムXで知られる、黒人のアフリカ回帰を求める宗教団体「ネイション・オブ・イスラム」のメンバーのこと。彼らの声に、ジョージは「これは単なるパーティさ」と言ってのけたのです。奇しくも、いや、当然というべきか、彼らには「Fantasy is Reality」という歌があります。
やはりジョージは、真実と虚構の間を行き来するのです。
そして物語は、『ザ・クローンズ・オブ・ドクター・ファンケンシュタイン』へ・・・。
次回、「ドクター・ファンケンシュタイン」編、来週公開!